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とちぎの文化財

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1998.01.16

【瀧澤家住宅(鐵竹堂、蔵座敷、長屋門)】

  • 文化財種類:県指定等文化財
  • 市区町村:さくら市
  • 区分:有形文化財(建造物)
  • 種類:指定

(たきざわけじゅうたく)

●指定年月日

平成10年1月16日指定

所在地

さくら市桜野

アクセス方法

JR宇都宮線氏家駅から1㎞

公開状況  

公開

所有者又は管理者

個人所有

●文化財概要

 明治25年(1892)10月23日氏家町上野原、東原で陸軍大演習が行われ、当時貴族院議員であった瀧澤喜平治宅が明治天皇の休息所として充てられた。指定の3棟はいずれもこの行幸に備えて新築又は改築したと推定される建造物である。

<鐵竹堂>
明治25年(1892)
南北6.5間(1267cm)×東西7間(1381cm)
本建物は明治天皇の休息所として使用され、喜平治の雅号「鐵竹」にちなんで名づけられた。平屋建て入母屋造り、正面に車寄せを張り出し、北側の庭園を鍵形に囲んだ四室で構成されており吟味された材料と手の込んだ造作、特に書院造りの御座所にふさわしい造りとなっている。休息のために揃えた調度品とともに当時のままの姿で残されている。
<蔵座敷>
明治20年(1887)
桁行4.5間(893cm)×梁間4間(685cm)
本建物は、総二階建て切妻瓦葺の純和風造り建物の屋根中央部に洋風望楼が設けられている、望楼は方形造り銅板葺、四面に装飾的な上部半面状の扉を開き、周囲には洋風唐草模様の鉄柵を廻らしてる。この望楼は当初からのものではなく「鐵竹堂」と共に明治天皇行幸に備えて明治25年に増築されたと推定される。当時県内にも同様の建物が多数造られたが、現存するのは唯一この建物のみである。西洋文明受入れの過渡期において地方の建物に与えた影響を知る上で貴重であり、また洋風建築の受入れをこなした職人の心意気など明治の郷愁を強く感じさせる建物である。
<長屋門>
明治25年(1892)
桁行8.5間(1541cm)×梁間2.5間(459cm)
本来武家屋敷のものである長屋門は、明治時代になり一般の農家などにも普及し、二階建て造りなどの大規模なものが建造されるようになった。本長屋門は左右に間口2.5間、奥行2.5間の二階建ての小部屋とし、中央部3.5間を門とする入母屋造瓦葺の建物である。門には両開きの大扉と通用門をもち、正面一階の左右の小部屋には出窓形式の武者窓が施えてある。また、門の飾り金具には菊花が使われており、明治天皇の行幸に備えて建造されたことが推定される。現存する長屋門の中でも最大級の規模のもので、今でも旧奥州街道に面してその威容を誇っている。