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文化財検索【佐貫石仏】
- 文化財種類:国指定等文化財
- 市区町村:塩谷町
- 区分:記念物(史跡)
- 種類:指定
(さぬきせきぶつ)
●指定年月日
大正15年2月24日指定
●所在地
●アクセス方法
関東バス・船生ー石那田線(船生車庫⇔宇都宮駅)の佐貫観音前停留所で下車
●公開状況
公開
常時公開
●所有者又は管理者
東海寺
●文化財概要
像高約18.2m(顔面の長さ約3m、幅約1.64m)。鬼怒川左岸にそびえる観音岩とよばれる岩壁に彫刻されている。
昔より「佐貫の観音様」として人々に親しまれてきたが、いつ誰の手によって彫られたかは定かではない。石仏は、智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像で、八枚の蓮華台の上に「結跏趺坐」しており、宝冠をいだいている。
長い年月の風雨により侵食が進み、近年では全容を確認することは困難といわれていたが、岩壁の草本類の除去や近年の調査から、顔面と蓮弁以外は見えにくいものの全体像が明らかになった。太陽光線の都合で午前中であれば全容が観察できる。
なお、像の右肩上に、奥の院または大悲窟と呼ばれる小洞窟があり、中に数多くの秘宝が収蔵されていると言われていた。明治12年(1879)の開帳の際に、古鏡二面とともに銅版 阿弥陀曼荼羅が発見されている。
平成27年に136年ぶりに開帳され、内部から元禄15年に奉納された木造地蔵菩薩像などが発見されている。
石仏の製作者は「弘法大師一夜の作」という伝承がある。船生地区の旧家に残る古文書によると、大同2年(807)に弘法大師(空海)がこの地を訪れ、「讃州(香川県)多度郡の郡司であった藤原富正の子、富治の願いにより御山表に御尊像を給った」と記されているが、空海が讃岐の出身であり、その前年の大同元年(806)に唐の国から帰国していることを考えると、この古文書との符号には面白いものがある。