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とちぎの文化財

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1988.06.06

【厨子入木造大日如来坐像】

  • 文化財種類:国指定等文化財
  • 市区町村:足利市
  • 区分:有形文化財(彫刻)
  • 種類:指定

(ずしいりもくぞうだいにちにょらいざぞう)

●指定年月日

昭和63年6月6日指定

所在地

足利市菅田町

アクセス方法

JR足利駅から車で約20分

公開状況  

公開
東京国立博物館にて展示(不定期)

所有者又は管理者

光得寺

●文化財概要

 像高 30.0㎝。寄木造、宝冠を欠いている。宝髻は高く、髪筋はよく通る。相貌は大日如来の威容を保っている。智拳印を結び金剛界を表象している。垂髪、釧鐶、腕輪における銅のたがね打抜きの技は精巧に衣褶の刀法は冴えている。光背も日輪を中心にした波文の銅板でよく、台座の筒型敷茄子は珍しい。4段葺の蓮弁には所々に水晶の玉を飾る。荘厳の気溢れる習作である。
 また、X線写真によって、像内に、木製とみられる五輪塔、金属の蓮弁をもつ水晶製らしい珠、針金でからげた人の前歯らしいものの納入が認められる。このうち五輪塔と水晶珠は、運慶が主宰した興福寺北円堂弥勤仏像(国宝)の納入品に例があり、歯は源頼朝追善の滝山寺聖観音像に納入されたとの伝えがある。これらのことからも、運慶の作とは断言し難いまでも、運慶統率下の慶派仏師による造立と考えられる。
 なお筒型の厨子は、両扉にバン(金剛界・右)、ア(胎蔵界・左)を月輪中に付け、内部に掛仏36躯(現存28躯)を飾る。尊像を奉安するのにふさわしい優品である。本像と厨子は、足利源氏の棟梁義兼が、入道して鑁阿と号し、諸国巡歴の折、自ら背負っていたものという。
 明治初年、廃仏毀釈で樺崎寺跡から光得寺に移されたものである。