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  • 【旧古河鉱業会社足尾銅山掛水重役役宅 附 変電施設建屋、倉庫】
2010.02.09

【旧古河鉱業会社足尾銅山掛水重役役宅 附 変電施設建屋、倉庫】

  • 文化財種類:県指定等文化財
  • 市区町村:日光市
  • 区分:有形文化財(建造物)
  • 種類:指定

(きゅうふるかわこうぎょうがいしゃあしおどうざんかけみずじゅうやくやくたく つけたり へんでんしせつたてや、そうこ)

●指定年月日

平成22年2月9日指定

所在地

栃木県日光市足尾町

アクセス方法

わたらせ渓谷鐵道足尾駅下車徒歩2分

公開状況  

非公開
鉱石資料館(12号)のみ、古河掛水倶楽部とあわせて有料公開

所有者又は管理者

古河機械金属㈱

●文化財概要

 掛水役宅は、古河鉱業会社足尾鉱業所の重役を含む職員の社宅である。敷地は渡良瀬川上流の西岸、掛水地区と呼ばれるわたらせ渓谷鐵道(旧足尾鉄道)の足尾駅前に一郭を占める。掛水地区には、既に明治32年頃に掛水倶楽部旧館(現存)が建設されていたが、特に足尾銅山の主要な施設が存在していた訳ではなかった。しかし明治40年2月に発生した足尾暴動事件によって本山地区に置かれていた足尾銅山の中心施設が焼失したことから、足尾鉱業所を掛水に移すことになり(明治44年春完成)、それにともなって所長以下の重役役宅もこの地に集約することになった。
 明治40年10月に先ず課長役宅3棟が、同年12月には所長および副所長の役宅各1棟が完成している。その後、課長役宅1棟がやや遅れて建設されている。敷地は、足尾鉱業所跡地の背後を経て掛水倶楽部本館に至る道路の南側であり、6棟の一戸建住宅が一列に並ぶ。いずれも敷地周りに板塀を廻し、道路に面して北側に門を開き、渡良瀬川を臨む南側に広い庭を設けている。板塀や門を除けば、6棟とも創建当初の建物で、配置も変っていない。これら重役役宅には、古河機械金属(旧古河鉱業会社)の社宅として東から順に12号、16号、20号、19号、11号、10号の家屋番号が付けられている。
 20号は、明治40年12月に竣工した鉱業事務所の所長役宅である。敷地も広く、床面積は100坪を超える。木造平屋・寄棟造一部切妻・平入り、外壁は下見板貼、屋根は桟瓦葺で洋風小屋組(キングポスト・トラス)を用いる。全体の構成は、東側に寄棟造の接客棟を、西側にやはり寄棟造の居住棟を配し、中廊下で区画された北側の付属部分が両者を繋ぐ。北側正面には接客用の玄関と居住用の玄関(内玄関)が設けられ、西端の台所や浴室と玄関との間には渡り廊下で結ばれた倉庫が置かれる。接客棟は北側に張り出した洋風応接室と、東側から南側に広縁を廻して外部にガラス戸と雨戸を建てた2室の座敷(12畳半と10畳の続き間)、そして専用の洗面・便所からなる。座敷は造りもよく格式を誇るが、特に洋風応接室は、外部を下見板貼ペンキ塗とし腰を石積風に仕上げ、ペディメントを載せた鎧戸付の上げ下げ窓を並べ、内部も大壁造に布貼で腰羽目を廻し、窓には洋風のカーテンレールを用いるなど、本格的な洋風意匠が目立っている。一方、居住棟は4室の座敷(10畳1室と8畳3室)を田の字型に配し、西側から南側に縁側を廻して外部にガラス戸と雨戸を建て、突き当たりに家族専用の洗面・便所を設ける。屋根瓦は近年に葺き替えられたが、その他に改造の後はほとんど見られない。
 19号は、やはり明治40年12月に竣工した鉱業事務所の副所長役宅である。木造平屋・切妻造一部寄棟・平入り、外壁は下見板貼、屋根は桟瓦葺で、所長役宅と同様に洋風小屋組(キングポスト・トラス)を用いる。規模は縮小されているが、全体の構成も所長役宅を踏襲しており、規模の点を除けば所長役宅と極めて良く似通っている。なお、敷地内に木造平屋の小規模な変電施設の建屋が残る。
 12号、11号、10号の3棟は、いずれも明治40年10月に竣工した課長役宅で、同一規模・同一平面の和風住宅である。桁行10間・梁間5間、南側および西側の便所部分を下屋とする。木造平屋・切妻造・平入りで、外壁は下見板貼、屋根は桟瓦葺であったが現在は12号と10号が鉄板葺に葺き替えられている。平面は中廊下によって居室部分と付属部分を、さらに居室部分に関しても、玄関の西側に突き出した接客用の座敷(8畳と7畳の続き間)と南側の居住用の座敷(8畳と8畳の続き間)とを明確に区画している。なお、12号は現在、鉱石資料館として公開されており、10号は最近まで社宅として利用されていた。12号および11号の敷地内には木造平屋の小規模な倉庫(物置)が残るが、11号の倉庫は隣接する10号の敷地にまたがって建てられており、内部が壁で仕切られている。
 16号は、他の5棟にやや遅れて建設された木造平屋・切妻造・平入りの和風住宅である。桁行10間・梁間5間で南側および西側の便所部分を下屋とする。外壁は下見板貼、屋根は桟瓦葺で、平面も左右を逆転すれば、玄関部分と浴室部分を半間だけ張り出したことを除いて、他の課長役宅と完全に一致する。ただ、妻壁に二重梁を現しているのはこの16号だけであり、時期的なずれによる施工者の違いを感じさせる。なお、屋根瓦は近年に葺き替えられている。
 現存する6棟の掛水重役役宅群は、同時期に計画された足尾鉱業所や掛水倶楽部本館足尾駅などとともに、足尾銅山の中枢部を構成した最も重要かつ上質の役宅であった。これらの重役役宅は、いずれも接客部分と居住部分を明確に分離する方針が貫かれており、大規模な所長、副所長役宅ではそれらを別棟で構成し、比較的小規模な課長役宅では中廊下を用いて動線を処理している。特に所長および副所長役宅の接客棟は、これらの役宅が足尾における重要な接客施設であったことを示している。また、わが国の近代住宅史においては、洋風応接室の付加や中廊下型の平面は、明治末期にその先駆的な例が見られるようになるものの、実際に都市部の中流住宅に普及するのは大正期になってからとされる。したがって掛水重役役宅群は、当時としては最先端の住宅建築であったということができる。