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とちぎの文化財

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2024.10.11

【西方城跡】

  • 文化財種類:国指定等文化財
  • 市区町村:栃木市
  • 区分:記念物(史跡)
  • 種類:指定

(にしかたじょうあと)

●指定年月日

令和6年10月11日指定

所在地

栃木県栃木市西方町本城 ほか

アクセス方法

北関東自動車道「都賀IC」から車で約15分。登山口から山頂主郭跡まで徒歩約15分。

公開状況  

公開

所有者又は管理者

栃木市 ほか

●文化財概要

 西方城跡は、宇都宮氏(うつのみやし)家中国人領 主である西方(にしかた)氏による築城と考えられ、宇都宮氏の廃絶後は結城秀康領、関ケ原の戦いの後は、西方藩1万5千石の本城として藤田信吉が領有するが、元和元年(1615)に西方藩が廃されると同時に廃城となった。
 山頂部には南北の丘陵尾根上に主要な曲輪が連なり、山麓部に曲輪群が広がる。山麓部は方形の曲輪を中心とする曲輪群で構成される。西方氏段階では山頂部、結城氏段階では山頂、山麓双方、藤田氏段階では山麓部東側という城 館自体の変遷が推定できる。
 城の役割も時代により大きく異なり、西方氏の段階では宇都宮領の飛地で、小田原北条氏に対する境界の城館であったこと、結城氏段階では徳川領国の北限で上杉氏に対する境界の意味合いが強くなるなど、規模と構造の変遷が、地政的な北関東の政治的緊張と連動しており、戦国期から近世の政治状況、社会構造の変化を示していると考えられる。また、遺構の遺存状況も良好であり、我が国における中世後半から近世初頭にかけての城館の
形態と変遷や築城技術を知る上で重要である。 指定面積176,619.59㎡