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1984.07.06
【那須神田城跡】
- 文化財種類:国指定等文化財
- 市区町村:那珂川町
- 区分:記念物(史跡)
- 種類:指定
(なすかんだじょうあと)
●指定年月日
昭和59年7月6日指定
●所在地
那須郡那珂川町三輪
●アクセス方法
JR宇都宮線氏家駅から車で30分
●公開状況
公開
●所有者又は管理者
個人所有
●文化財概要
当城跡は、大字三輪字要害に位置し、那珂川右岸段丘が喜連川丘陵に移行する中程にある。南北に長い単郭式長方形プランの典型的な居館跡であり、周囲の堀を含んだ面積は約2.5㌶以上という東日本でも屈指の大きさである。西側を除いてほぼ原形を留めており、土塁の基底幅約10m、土塁の高さ5m土塁頂での幅2m、郭内は東西66m、南北約117m、面積約7,725㎡である。北と南には水濠が残り、土塁の各隅部はいくぶん高く、南土塁中央には土塁が切れている部分があり門跡と推定されている。現況は郭内が水田、東と西の土塁の外側も水田になっている。
築城は天喜4年(1056)、長治2年(1105)、天治2年(1125)の3説あるが、年代を特定するには至っていない。しかし、北約4kmにある奈良・平安時代の郡役所である那須官衙遺跡に近い立地や規模は古代から引き続き、当地域を総括する場所としてふさわしい。
また、古代から中世にかけて那須を代表とする氏族として那須氏があげられ、その本拠と考えられている。源平屋島の戦い、扇の的で名高い那須与一は嘉応元年(1169)、那須資隆の十一男としてこの那須神田城で生まれたと伝えられている。