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文化財検索【那須神社 本殿 楼門】
- 文化財種類:国指定等文化財
- 市区町村:大田原市
- 区分:有形文化財(建造物)
- 種類:指定
(なすじんじゃ ほんでん ろうもん)
●指定年月日
平成26年1月27日指定
●所在地
大田原市南金丸
●アクセス方法
JR宇都宮線西那須野駅下車 バスで25分(道の駅那須与一の郷から徒歩1分)
●公開状況
公開
●所有者又は管理者
那須神社
●文化財概要
那須神社は社伝によれば、仁徳天皇(313~399)の時代に建てられたと伝えられ、さらに延暦年中(782~806)征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征討のとき、社叢にある塚に応神天皇の分霊を祭って八幡宮にしたといわれている。その後は那須氏の厚い尊崇を受けた。
那須氏が没落後、大関氏の氏神としてあがめられ、天正5年(1577)には大関氏により、本殿・拝殿・楼門が再興されたと社記に記述される。
本殿は三間社流造り、銅板瓦棒葺。寛永18年(1641)に黒羽藩主大関高増が社殿を大改修した。装飾は蟇股内と妻部にある程度だが、全体に塗装彩色がなされる。
本殿の附として銅製棟札があり、以下のとおり施主及び年期が刻まれると共に、大工の名前等も確認されている。
施主 大関土佐守丹氏高増
干時寛永十八年辛巳孟夏吉祥辰日欽白
楼門は三間一戸入母屋造り、銅板平葺。桃山時代の影響を受けた江戸時代初期建造。建物全体に漆塗をほどこし、上層軸部全面に白地に墨絵の大雲龍を描き、柱の上の組物には彩色を施した豪壮華麗なもので、県北ではあまり類例を見ない。
昭和52年11月から昭和55年3月の3年にわたる解体工事の結果、本殿棟札、下層一手先巻斗墨書(寛永19年7月11日)、二重頭貫墨書(寛永19年閏9月16日)等により寛永19年(1642)建立のものと推測される。
そのほか、附として寛永十九年三月の年紀がある石灯籠2基と寛永十九年五月の年紀がある石造手水舟がある。