SEARCH
文化財検索【飛山城跡】
- 文化財種類:国指定等文化財
- 市区町村:宇都宮市
- 区分:記念物(史跡)
- 種類:指定
(とびやまじょうあと)
●指定年月日
昭和52年3月8日指定
●所在地
●アクセス方法
JR宇都宮駅よりJRバス関東道場宿経由茂木・祖母井・清原台団地行きJA清原支所前下車徒歩15分
●公開状況
公開
飛山城史跡公園として常時公開
●所有者又は管理者
宇都宮市
●文化財概要
本城跡は宇都宮市の東部を南北に貫流する鬼怒川の左岸の台地上にある。飛山城は中世に下野国中央部を勢力範囲とした宇都宮氏の家臣で、益子(紀)氏とともに紀清両党(きせいりょうとう)と並び称せられた芳賀(清原)氏の居城として、永仁年間(1293~98)に築かれ、以後、慶長2年(1597)豊臣秀吉の命により廃城となるまでの約300年間、芳賀氏所領支配の根拠地及び合戦において重要な役割を果たした平山城である。廃城後400年を経た今日でも堀や土塁といった当時の遺構を残していることから史跡に指定された。
指定地は南北約420m、東西約240mであり、北と西側は鬼怒川の急峻な断崖が自然の防備となっている。東と南側は土塁と空堀を二重に築いている。内側の空堀は東南隅で幅約15m、深さ約4mの規模がある。北西側を主廓として、以下第二廓、 第三廓が南北に連なり、各廓は土塁と空堀で区画されている。第二廓と第三廓の連接部の東側に虎口(こぐち)を開き、大手としている。第三廓の南側が搦手(からめて)であったと考えられる。南側の外に面した中程に1か所、東側に2か所、東南隅に1か所の物見櫓が設けられていたと推測される。
平成8年には、第3廓の西隅の古代の竪穴住居跡から「烽家」の墨書のある土器が、全国ではじめて発見され、この地は古代には烽による通信が行われていたことが確認された。